「大魔神」三部作の、三作目を観た。
『大魔神逆襲』 1966年に「大魔神」三作を作った狂気の沙汰。 子供の涙に大魔神が動き出す。 監督:森一生 出演:二宮秀樹 堀井晋次 飯塚真英 |
“大魔神”シリーズ第三作目。
脚本は『大魔神怒る』の吉田哲郎。
監督は『陸軍中野学校 雲一号指令』の森一生。
前作『大魔神怒る』の森田富士郎と今井ひろしが撮影。
特技監督は前作同様、黒田義之。
1966年製作/87分/日本
原題:Majin Strikes Again
配給:大映
災害が全て魔の山に棲む荒神の仕業と信じられていた頃に、荒川飛騨守は瓜生の里の村人達を捕らえて武器作りに酷使していた。
非道な領主のもとで強制労働をから逃げ出した村人たちを救うため、鶴吉ら4人の子供は村の人々を救い出そうと“魔神の御山”を越える旅立ちを決意する。
領主側は追っ手を放ち、道中数々の困難に見舞われ、遂に鶴吉が自らの身を神に捧げて神の怒りを鎮めようとした時、ついに、山の武神像が動き出す。
武神像が腕を振り上げて憤怒の形相に変わる。
神の使いの鷹が現れると共に吹雪が起こり、地響きをたてて大魔神がやって来た。
ついに大魔神、三作目にて最後の作品。
1966年に一挙に三作品の大魔神を制作して、それでいてここまでの伝説的な作品になったのだから凄い。
一年で三作品という壮絶な映画制作をしているという圧倒的なパワーに驚かされる。
そして、時代劇での特撮というひと手間もふた手間もかかる作品を作るということに、当時の人たちの想いがビシバシと伝わってくるのだ。
でも僕は正直、第一作目の『大魔神』が好きであった。
「大魔神」は悪いヤツらをこらしめるという一定のパターンがあり、時代劇特有の「悪人を成敗する」図式があるので、三部作を通しても物語に大きな変化はない。
登場人物を変えて、大魔神が暴れるパターンを変えて、何とかシリーズを繋げていくわけだから、数を制作すればするほどネタ切れになってしまうのと、飽きが生じてしまうのは否めない。
「ゴジラ」のように他の怪獣と対決させたり、宇宙人やタイムトラベラーがやって来たりと、色んな設定や方法で「ゴジラ」の物語を拡げていければイイが、「大魔神」はそうはいかないのである。
そして、三作目は子供が主人公として登場する。
「ゴジラ」でもそうだが、子供をメインに登場させると、どうしてもドラマが幼稚になってしまう傾向がある。
それは子供の演技力が大人にやらされている「わざとらしさ」にも関係がある気がしてならない。
後半「大魔神」の怒りに変貌した時の恐ろしさと迫力を目いっぱい堪能したい僕は、前半の人間ドラマもシリアスに楽しみたいのだ。
それにしても、1966年に三本もの「大魔神」を制作したことには本当に感服する。
現代の映画よりもずっとパワフルで迫力があった、ってなところで「カット、カット」。
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