年の瀬が押し迫ってきた12月19日(土)、最終日である松本亮平展『生命の記憶-Ⅳ-』を楽しみに銀座・京橋のSILVER SHELLに足を運ばせた。
今年は世界中の人たちが新型コロナウィルスの影響で大きな変革を伴わされて、いつも以上に自分自身を、そして大事な人のことを、深く想い抱いたのではないだろうか。
[いきものたちの生命]というものをテーマに一貫して描かれ続けている亮平さんの作品は、より深く心に染みわたるのだ。
亮平さんの作品は、僕たちの変わりゆく暮らしの中で、変わらない生命の温もりや優しさを、今まで以上に感じさせてくれるものであった。
動物たちの生きている営みが目の前にあり、マスクをしながら僕たちは絵の世界を覗き込み、彼らの表情や仕草に心奪われるのである。
亮平さんの作品から、繊細に紡がれた生命の音が聴こえてきた時、自らの命の音を再確認している。
『紅葉雀図』という作品は、雀は古来から厄をついばむとされていて一族繁栄・家内安全の象徴であり、亮平さんの家に集まってくる雀をモチーフに描いたという。
2020年という年は余りにも良いニュースが少なく、ニュースやワイドショーでは連日、耳障りの良くない出来事が取り上げられていて、挙句の果てにはSNS上で人間の自らの意志や判断によって、誰かを悪者に仕立て上げて袋叩きにしていた。
そんな辟易してしまう暮らしの中で、雀たちが集う姿と雀たちの歌が聴こえてきそうな作品に、そっと心癒されるのだ。
人間たちの大騒動を、猫たちはどう想っているのだろうか。
「花は美しい」と感じる心のゆとりが僕たちにあったのだろうか。
立ち止まって花を見つめる時間がないことは、貧しいことなのかもしれない。
また『鯉通勤図』という作品では、立身出世のモチーフである鯉たちが満員電車で通勤する様子が描かれている。
思わず笑みがこぼれてしまう光景ではあるが、これが人間社会の光景であったんだと我に返らされるのだ。
『扇面流水図』は、扇状に広がる光が実に美しい。
画家として着実に道を歩み、「毎日、絵を描いている」という亮平さんの画力はメキメキと向上している。
扇は邪気を祓い、運気を呼び込むものとされている。扇を川に渡して、遠く離れた人がそれを見つけたことで、一度離れた者同士が再会する話がさまざま残っているという。
まさにコロナ禍で遠く離れた人と簡単に会えなくなった状況と重なり、作品の持つメッセージが強くなっていく。
亮平さんがコラムを連載している『美術屋・百兵衛』のNo54・55合併号の「温故知新」の中で、[芸術の存在価値の一つは、時や文化を超えて鑑賞者が新鮮な目で捉えなおした時に新しく生み出される価値にあると思える。]と記されている。
このコロナ禍で、作品への鑑賞者の感じ方も捉え方にも変化があったように思える。
当たり前だと思っていた日常が、当たり前ではなくなった時、「生命の記憶」が愛おしくてたまらなくなるものだ。
コロナ禍において、より一層「いきものたちの生命」が愛おしく優しく感じ取れる。
一筆一筆から奏でられた繊細に紡がれる生命の音を、決して聴き逃してはならない。
幾つもの作品が生命の音を奏でて鑑賞者の心に澄み渡った時、人の生命力は簡単に朽ち果ててしまわないものである。
この記事へのコメントはありません。