東京アートコンプレックスセンターにて、4/15に松本亮平展『いきものたちのせかい』を見に行ってきた。
実物の松本亮平作品を見るのは、今回が初めてだった。
松本亮平さんの作品を初めて知ったのはフェイスブックでの投稿だった。その世界観は一瞬で僕の目をひいた。それから画集を二冊送っていただき、フェイスブックのメッセンジャー等で交流させていただいている。
一枚の絵が見る者に物語や世界を想像させてくれる。亮平さんが描く「いきもの」と「構図」は、そこで完結しない。
見る者が一枚の絵から想像して拡がる世界観がある。
その絵は写真のような絵でもなくてイラストタッチでもない。
「リアル」と「想像」が融合している。
だから面白いしスゴイ。
写真で撮影したようなリアルな絵は、その技術には感心するけれども、見る者の想像力を掻き立てることはない。一枚の絵で完結してしまうからだ。
松本亮平作品は想像力を掻き立ててくれる。
『集団行動』と題されたこの絵には背景にスフィンクスやピラミッドがあって、その前では複数の豚達がピラミッドを作っている。空には気球が飛び一番上にいる豚は気球のように天へと飛ぼうとしている。
不思議な世界観は見る者によって感じ方も捉え方も違うだろう。一枚の絵から拡がる世界観や物語を自分の頭で想像して、また他者と語り合うことでもっと拡がっていくのだ。
「キレイだね」
「そうだね」
「うまいね」
「そうだね」
だけでは終わらない会話がそこに生まれる。
「見て、見て、スフィンクスがいるよ」
「ホントだ、豚がピラミッドになってる」
「砂漠じゃなくて、緑があって花も咲いてるね」
「空には気球も」
「黒豚もいるね」
「一番下にいる豚ってどんな気持ちなのかなぁ」
「悲しい顔している豚もいるから、しんどいんじゃない?」
「なるほど~。集団行動ってそういう意味じゃないか」
「どういうこと?」
「人間社会での組織も必ずピラミッドになっていて、下にいる人達が上の人を支えているからね」
「でも笑ってるように見える豚もいるよ」
「そりゃ色んな人間がいるように、色んな豚がいるでしょ」
「一番上にいる豚は空を飛ぼうとしているのかな?」
「人間の欲がとどまることを知らないように、組織のトップであっても、さらに高みに上ろうとしている姿じゃないか」
・・・みたいな会話が生まれる。
それは見た人によって生まれる会話は違うし、世界観も物語も異なるだろう。
松本亮平作品は、その作品から見る人達によって拡がっていくところが面白さの魅力のひとつだ。
壁一面に貼られた「いきものたち」。噴水のように放射形に放たれた動物たち。
この視線はすごく面白くて、この壁だけではなくて、絵画作品の上や横や下などにも存在する。
また一点一点、いや一匹、一頭、一羽ずつ描かれた作品は、近づいて見ると、すごく丁寧で、松本亮平の視点に驚かされる。
動物たちの角度に注目していただきたい。
下からのアングルで描かれた動物がいて、絵を少しでも描く人なら、すぐにわかると思うのだけど、これってすごく難しい。
このアングルで描くというのは、とにかく難しいし描きづらい。普通は正面や横から描く。描きやすいから。
描きづらいアングルをあえて描いているのは、もう人間目線ではない。
その視線や視点は、もはや動物たちと共に生きている。
先ず僕達は動物園で動物を真下から見るなんてことはない。
亮平さんは見てる。そこにいるかのように。
亮平さんの人柄は本当に純粋で嘘がない人。
ニコニコしていながらも、その眼球はぐるぐる回り、色んな角度から動物たちを見る視線と視点を持ち、その「生きている一瞬」を見事に捕らえる。優しく温かいながらも、すごく鋭い人である。
それは彼が「いきものたち」の生命を尊重して、「いきものたち」を尊敬しているからだ。
6歳の頃から動物を描いていたという亮平さんの絵には、まるで動物たちの鼓動が聴こえてくるかのようだ。
その息吹や鳴き声も聴こえてくる。
まるで音楽会が始まってしまいそうな。
一枚の絵は、とても静かだ。それなのに何かが聴こえてきそうな作品は、視覚だけではなく、聴覚まで楽しませてくれる。
時には奇妙な旋律も聴こえてくるし、騒々しい鳴き声も聴こえてくる。いきものたちが、そこでまさしく生きているからだ。血が通っている。
生命のパワーがそこにあるから僕は感動するし惹きこまれる。良き作品とは作品に血液が通っているかどうかだと僕は思う。
生命のパワーの前では人間は嘘をつけないものだ。純粋に心に飛び込んできて素っ裸に圧倒される。
僕個人が亮平さんに感じる魅力。彼はいわゆる美大を出たわけではなく、早稲田大学理工学部卒業の理系の画家だ。
美大を出ている画家さんも確かにスゴイ人が多いが、「絵を誰にも習っていない」ところが僕は好きなのだ。6歳の頃に動物の絵を描いていたというが、純粋に好きな動物の絵を描き続けてきたから面白いんだと思う。
もしも途中で亮平さんが誰かに絵を教わっていたなら、つまらなくなっていた気がする。先生や評論家ウケする絵を教わっても仕方がない。技術の進歩が感動と比例することはない。それは子供の描く絵が証明している。
あのピカソは晩年「ようやく子供のような絵が描けるようになった」と言っているように、自分の描きたいものを純粋に無邪気に描く人が一番スゴイのではないか。
そこに技術がかけ算になるから素晴らしくて、純粋な想いがないのに技術をかけ算したところで、人は感動しない。
これは、はがきサイズの作品だけど描写が細かい。そしてクモが大きく描かれていて、クモの糸に引っかかった大きいはずのゾウは遠近法で小さく描かれている。これが技術とのかけ算だと思う。
純粋な想いがあっても技術がないと表現できない絵だから。
僕は大統領や総理大臣や、どんなお偉いさんよりも、アーティストを尊敬している。
100億円稼ぐ人よりも、100年残る作品を創る人の方がスゴイと思う。
作品ひとつが人に感動を与えるパワーはどんなものよりも尊い。
僕は教師の言葉に感動したことはないけれど、漫画や音楽、書籍や映画、造形物や写真や、一枚の絵に感動したことは沢山ある。
最近、亮平さんは「世界絵画大賞展」や「昭和会展」などで連続入選をしているが、亮平さんの作品は、もっと多くの人達に見てもらって欲しい。その一筆一筆が見る人達の琴線に触れるはずである。
今後の活躍と今後の作品を楽しみに松本亮平に注目していきたい。
横山さん
素晴らしい紹介のブログありがとうございます。
今拝読させていただきました。
本当にうれしいです。
またより良い作品作ることができるように精進いたします。
作品が多くの人達に見てもらいたいと、
僕も望んでいます。
良いものは、キチンと評価されるべきです。
これからの作品も楽しみにしています!