ゴッホが日本の浮世絵に多大なる影響を受けたということは有名な話である。
ゴッホは一度も日本を訪れたことはないのだが、ゴッホは日本の浮世絵を愛してくれたのだ。
そして現代の僕たち日本人のゴッホ人気というのは絶大なものである。
ゴッホの『タンギー爺さん』という作品では、タンギー爺さんの背後に浮世絵が敷き詰めれているかのように飾られている。
パリで画材屋を営んでいたタンギー爺さんはゴッホの数少ない友人である。
貧しい画家たちを支援していたタンギー爺さんに、画材を支払う代金の代わりに自分の描いた絵を提供していたのだ。
ゴッホは浮世絵コレクターであり、600点もの作品を収集したと言われている。
さらにゴッホはパリのカフェ「ル・タンブラン」で浮世絵展も開催したのだ。経済的にも厳しかったはずであるゴッホの浮世絵愛が感じられる。
浮世絵を収集していただけではなくて、浮世絵の模写もしていたゴッホ。
ゴッホが模写した歌川広重の浮世絵『名所江戸百景 大はしあたけの夕立』。
当時の西洋では雨を描くものではなかったのだが、広重の雨の描写にはゴッホをはじめとした当時の画家は驚いたという。
ゴッホの模写した『大はしあたけの夕立』も、味わい深くて美しい。
また歌川広重の浮世絵である『名所江戸百景 亀戸梅屋舗』。
広重の名所江戸百景は構図がとても面白くて、この『亀戸梅屋敷』も中央にダイナミックに配置された梅の木の幹が、ゴッホにとっても衝撃的だったのだ。
最後に『パリ・イリュストレ』誌(1886年5月号)の表紙を飾った渓斎英泉(けいさいえいせん)の『雲龍打掛の花』。
鮮やかな色彩と、水辺に浮かぶ蓮やカエル、竹林や鶴や舟など、ゴッホのアレンジも加わり見ていて面白い。カエルの頭の上に花魁の絵がある、ユーモアあるゴッホの人間味が垣間見れて微笑ましい。
ゴッホがパリ時代に模写して現在残っているのは、広重の江戸名所百景の二点と花魁の絵一点の三点である。
あの「耳切り事件」を起こしたゴッホの自画像の背後にも浮世絵が見られる。
まさか日本の「腹切り」を真似て「耳切り」をしたわけではあるまい。
ゴッホの『星月夜』は、葛飾北斎の『神奈川沖浪裏』に影響を受けた。
波のウェーブを夜空に取り入れたのがゴッホの天才的な才能であろう。
ゴッホは日本の浮世絵を愛してくれた。
日本人もまたゴッホを愛して日本で『ゴッホ展』を開催すれば大盛況だ。
もしもゴッホが浮世絵と出逢っていなかったとしたら、ゴッホは全然違った作品を残していたであろう。
ゴッホが愛した浮世絵―美しきニッポンの夢
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