横浜市みなとみらい駅構内サブウェイギャラリーMにて8/10、『松本敏裕 ×亮平展 ーそれぞれの表現Ⅲー』を見に行ってきた。
ギャラリー内の中央から縦に二分割して、入口左側に父・松本敏裕さんの作品、右側に子・松本亮平さんの作品が展示されている。親子でありながら、それぞれの表現スタイルは異なる。
親子展では仲の良い父と子の作品が展示されているのと同時に、お互いの作品のエネルギーや情熱、感性が、その二分割された右側と左側からぶつかり合っているようにも見える。
耳を澄ませばお互いの筆の音が聴こえるのではないかと錯覚させてしまうぐらいに面白い。
ヴェネチアをモチーフに描かれた作品群は、とにかくカッコイイ。ヴェネチアの人たちって、すごくカッコ良くて、それは映画のワンシーンを観ているような。
このヴェネチア取材時期はカーニバルが開催されていた時なので、なおさら華麗で、まさに「絵になる」ような人たちが多かったのだろうか。
婦人は気品があり美しく、紳士には色気がある。
ヴェネチアのカーニバルは街の人々にとって大事なものであることが、絵を通して見ることで伝わってくる。
日本では浴衣姿でお祭りに参加する人もいるが、ジャージ姿や短パンなどでの参加している姿を今まで気になることはなかったけど、ヴェニチアと比べると少し残念な光景だ。
一枚の絵から異文化を感じ取り、また日本を見つめなおすことが出来る。
その街並みと、その服装と、その佇まいに、ヴェネチアの人たちの心の美しさ、暮らしの風の匂いがした。
そのヴェネチアの風の匂いを、見事に筆に乗せて表現している。
そして僕が好きな作品がこれだ。
三枚の絵が組み合わさることで、ひとつの作品になっている。
街と建造物と川と群衆と動物と三人の女性と空、三枚の絵の中に幾つものモノが描かれていて、それでいて中央の絵の、空から舞い降りてくる女性に目がいく。中央の絵一枚では、何の光景を描いたものかわからないが、両隣の絵を置くことで、一気に視野が広がり、絵の物語が理解しやすくなる。
日本人が描いた絵のように感じられないのは、絵を描いている時、敏裕さん自身がヴェネチアの街の人になってたんじゃないか?
そんな気さえしてくる。
美しくて気高い、ヴェネチアの街の人たちの暮らしがそこにあった。
今回の亮平さんの展示は、絵を描き始めた頃から現在に至るまでの作品の一部を集めたものだ。
松本亮平作品といえば動物だ。
しかし、現在の世界観に至るまでの謎がこの展示会で明らかになる。
少年の頃の作品は、現在の作品スタイルの片鱗が見える。絵心や感性は大いにあると、少年期の作品を見ても一目瞭然。自然と動物、いきものが好きなことがわかるし、いきものを巨大化させたり、自由に配置したり、構図までしっかり意識して描かれている。
ここには動物の絵が一切なく、風景画を描いている。
動物のデッサンがあるのかなと思いスケッチブックを開くと、そこには感動をおぼえるほど、ひたすらに風景画が描いてあった。
早稲田大学大学院、電気・情報生命専攻に進学して、細胞やDNAなどの絵を描く。
亮平さんの絵の歴史を順に追っていくと、全て現在のスタイルに繋がっていくのがわかる。
少年の頃に描いていた動物と自然、風景画をひたすらに描いて、細胞やDNAなどの研究をしていたことが、まさに今、現在の絵に繋がっている。
その表現スタイルは、今後も変貌していくかもしれない。
現在から未来へ、感性と想像力と技術、そして自分の人生の経験によって、人の心を虜にする作品を描いていく松本亮平さんに僕も目が離せない。
沢山のお客さんが来場されていたが、広い空間での展示はとても見やすく居心地が良かった。
『親子展』という展示方法も面白く、作品を通して親と子が対話していて、また多くの人との対話が生まれる。
制作過程というのは孤独な作業だ。一人でキャンバスに向かって描く。だけど、完成された作品は出逢いを生む。作品に惹かれた人たちが集まって対話を生む。
敏裕さんも亮平さんも非常に気さくで、笑顔が印象的だ。自分の作品についても情熱的に話してくれる。
まだまだ内から湧き上がる創作意欲があるんだとビシビシ感じる。父と子が、それぞれにお互いを刺激し合っている。自分のすぐ近くに自分を刺激して、向上させてくれる存在がいるということは、とてつもなく、かけがえのないものだ。
笑顔の裏側に、父と子の情熱の真っ赤な炎が見えた。
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