角田光代原作のWOWOWドラマ『坂の途中の家』を観たのだ。
『坂の途中の家』 善意と常識に追い詰められる。 里沙子と被告人がシンクロしていく。 監督:森ガキ侑大 出演:柴咲コウ, 田辺誠一, 伊藤歩, 眞島秀和, 桜井ユキ |
直木賞作家・角田光代のべストセラー小説を、柴咲コウ主演でドラマ化。
『坂の途中の家』
角田光代 (著) |
映画『人魚の眠る家』などの篠崎絵里子が脚本。角田光代作品では、恋愛と金銭が交錯するドラマ『紙の月』も手掛けている。
『おじいちゃん、死んじゃったって。』で数々の賞を受賞し、注目を集めている新進気鋭の映像ディレクター森ガキ侑大が監督。
2019年,WOWOW 連続ドラマW,全6話
山咲里沙子(柴咲コウ)は、3歳の娘・文香と夫・陽一郎(田辺誠一)と3人で平穏な日々を送っていたが、ある日、裁判所から手紙が届く。
里沙子は「補充裁判員」に選ばれ、里沙子と同じ年頃の専業主婦・安藤水穂(水野美紀)が、生後8カ月の娘を水の入った浴槽に落とし虐待死させた事件を扱う。
水穂に嫌悪感を抱く里沙子だが徐々に被告の境遇に自らを重ねて、やがて自身の心に眠っていた混沌とした感情に困惑していく。
第五話の後半まではストレス溜まりまくりのドラマであった。
柴咲コウ演じる里沙子を取り巻く家庭環境に苛立ちが止まらない。クソ旦那にクソガキ、クソ舅にクソ姑、クソ母がじりじりと里沙子を追い詰めていくシーンに耐えきれぬ。
超ワガママなクソガキを周りが甘やかすことによって、叱ることが悪いことのように描かれている。
「食べ物で遊んじゃダメ!」レベルでは済まされない、食べ物を手で掴んで床に投げつける行為には怒りを抑えて観るのがしんどかった。
同時に子育ての大変さを見せつけられた。
自分が子供の頃、食べ物を床に投げつけて遊んでいたとしたら問答無用にどつかれていただろう。それでも悪いことをした自分がいけないと理解すると思う。
現代では叩けば「虐待」と認定されてしまうのだろうか。
ニュース等で目にする子供への虐待は酷いものであるのは確かだが、「悪いことしたら、お尻ペンペンする」ぐらいの躾もご法度なのか。
クソ旦那とクソ舅とクソ姑とクソ母の場合は、悪意ではなく全て善意で里沙子を追い詰めていくのだからタチが悪い。
まだ根っからの意地悪なヤツが相手ならば戦闘態勢にも入れるが、クソな正義感で真っすぐに向かってこられると、こちらの正義をぶつけてみても水と油である。
第五話の後半まではストレスで入院しそうになったが、旦那が相談していた同級生の登場で急展開。里沙子が封印されていた記憶を取り戻し、「お前かいっ!」と思ったところで、周りが心配していた事情が理解出来た。
里沙子は同じように過去にも子育てで追い詰められた経験があるのだが、その当時の里沙子を知っている家族ならば必要以上に心配するのは当然だ。
周囲の善意が里沙子にプレッシャーを与えていってしまった背景があり、里沙子の気持ちも周りの気持ちも少しずつ理解出来るようになる。
裁判で繰り広げられる一方的に悪いとされる被告人の背景が同時に浮き彫りにされていくのだ。
第五話後半の畳みかけは見事であった。物語の冒頭から複数人の女性がインタビューに応えている模様が映し出されていたのは虐待死事件のことではなく、里沙子に関する取材だったのである。
それまでのストレスが和らぎ、ドラマの構成力の素晴らしさに「参りました!」と白旗を上げる始末。「素晴らしい!」と態度を急変させて、「クソとか言ってごめんなさい」と菓子折りを持ってお詫びしたい。
水野美紀の被告人の時の風貌も凄かった。
誰にも理解されないという絶望の中で過ごしてきて、里沙子の想いによって裁判が動いたラストの水野美紀の涙は圧巻。
主人公だけではなく、他の裁判員や裁判官のそれぞれの視点や私生活での悩みを丁寧に描ききっている。
一点気になったのは、里沙子の娘の文香がクソガキだったはずなのに、最終話では「ママ大好きのイイ子」に変貌していたことである。
最初からイイ子ちゃんの態度であったら、里沙子がここまで疲弊することもなかった。
だが里沙子が補充裁判員に選ばれたことで文香を旦那の実家に預けたりしたことにより、文香にも寂しさやストレスが生まれ「かまってもらいたい」ワガママになってしまっていたのかもしれない。
主題歌を柴咲コウが歌っていたことに最終話で気付きビックリ。英語で歌った歌が上手すぎる。
WOWOWドラマがクオリティーが高いので、また他の作品も観てみよう、といったところで「カット、カット」。
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