6月ということで今回描いてみたのは「紫陽花」。
紫陽花に囲まれた「地蔵菩薩」を描いた。
【紫陽花と地蔵菩薩】
「風吹く日も 雨降る日も 日日是好日」 24.2.×27.3 麻紙 墨 顔彩 |
書を入れる時にビックリした。本当は「雨の日も 風の日も 日日是好日」という書のはずだった。
別の用紙に試し書きで「風」と書いていたがために、そのままの勢いで麻紙ボードに「風」と書いてしまった。違う!「雨」と書かなければいけなかったのだ。
詩画はどれだけ絵に時間をかけても、墨で書を入れる時に失敗したら台無しである。全て終了。修復は無理、不可能。「そこで試合終了です」。
「風」と書いてしまったことでボツにすることも頭をよぎったが、瞬時に何とか「風」から始まる詩は作れないのか?と考えて、「風吹く日も~」に繋げたのである。
例えば「雨の日も 風の日も」の順番を入れ替えて、「風の日も 雨の日も」とするのはイヤだった。
宮沢賢治の「雨にも負けず 風にも負けず」は、やはり「雨」から始まる。ASKAだって「はじまりはいつも雨」と歌っていたではないか。
今回の詩画も「雨」から始めたかったのだ。しかし書を入れたのは「風」である。紛れもなく「風」だ。
そんな絶望感に打ちひしがれながら、ボブ・ディランの「風に吹かれて」の歌が流れ、そうだ!答えは「風に吹かれている」と、無風状態の部屋の中で必死に答えを探し求めたのである。
「風吹く日も 雨降る日も」に何とか落ち着いて、詩画を完成させた。
「日日是好日」は禅語のひとつで、「にちにちこれこうにち」と読むのが正しいとされているが、読み方は色々。今回の詩画は一応「にちにちこれこうじつ」と読む。「日日是好日(にちにちこれこうじつ)」という小説や映画があるので、それに合わせておこう。本音は「どちらでもイイ」だが。
どんな一日でも素晴らしい日で、毎日が好日という意味である。
風が吹く日だって意味があるし、雨が降る日だって大切な日だ。どんな毎日も自分の心がけ次第で、良き日になる。
書を入れ間違えた日だって意味があり、良き日にするのは自分の心がけひとつ。
何とかそう自分に言い聞かせてみるが、結果的に「風吹く日も~」で良かったと思える。
作品は色紙サイズ。詩と絵の雰囲気を考えた時に色紙サイズがしっくりときた。額縁に入れて部屋に飾れば、どんな毎日の中でも落ち着いて自分の心を見つめるキッカケになる、なればイイな、と。
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