異物混入である。
異物な存在でありたいのだ。
いや、僕たちは何もかもが異物混入なのだ。
僕も、君も、あなたも。
カップ焼きそばの中にゴキブリが入っていたなんてニュースもあったが、ゴキブリだらけの中に焼きそばの麺があったのなら、それはそれで焼きそばが異物混入なのである。
フツーの生徒と呼ばれるクラスメイトの中に不良がいたら異物な目で見られるものだが、不良グループの中にフツーな生徒がいたらフツーではなくなる。
衣服を着た人たちの中に、全裸の人間がいたら異物混入だ。
しかし、銭湯で衣服を着て入浴しているやつがいたら、衣服を着たものが異物混入なのである。
現在の日本の常識なんてものは、他の時代や国、人種、はたまた生物が違えば、そんなものは常識ではないのだ。
僕たちは自分の常識の枠の範囲に縛られて物事を考えているだけで、全然違った価値観を持つ人にとっては、そんな常識はどーでも良かったりするのである。
人生を歩む生き方であっても本当は何通りもの生き方があるにも関わらず、自分の縛られた常識の範囲内でしか物事が判断出来ずに自ら苦しんでいる人もいる。
もしかしたら日本の国が自分に合わないだけなのかもしれない。
住む場所だって変えることが出来るし、働く場所だって変えることが出来る。
独身であり続けることも出来るし、結婚生活に幸せを見出すことも出来る。
例えば、イイ大学に進学して大企業に勤めて結婚をして一軒家を持って自分の家庭を築くことが自分にとっての生き方であるという人がいてもイイし、自由気ままな旅人のような暮らしをしている人がいてイイものだ。
大概の悩みは、狭い常識の中での選択肢の少なさに自分自身が縛られているだけである。
視野を広げて見れば、「こんな生き方がある」「こんな方法がある」「環境を変えてみよう」「人間関係を整理しよう」「新しい人と出逢おう」、無限に広がる選択肢があるにも関わらず、自分を小さく狭い箱の中に閉じ込めて悶々としている。
同じ環境で同じ人たちと同じ会話をして同じように年を重ねていくと、新しい発想も生まれず、凝り固まった進化のない自分に陥っていく。
自分が異物であるために、視野を広げて可能性を大きくしていくことは必要なことだ。
腐ってしまう前に、僕は違った世界に飛び込む。
今までの人生を捨てて、新しく生きていく。
今回『異物混入』という作品を描いた。
僕たちは、みんなみんな異物混入なのだ。
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