手塚治虫先生の描いたドストエフスキーの名作『罪と罰』を読んだのだ。
元々、この漫画は昔に所有していたのだが、どこかの人生のタイミングで手放していたようだ。
「結局、読まないで手放してしまったよなぁ」と思っていたが、再度購入して読んでみると、「あれ?読んだことあるかもしれない」と自分の記憶のかけらが繋がり出したような気がした。
何故今回、手塚治虫先生の『罪と罰』を読もうという気になったのかというと、『中田敦彦のYouTube大学』で解説していた動画を観て、中田敦彦さんの喋りの巧みさもあってか、『罪と罰』って面白いなぁと思い、ドストエフスキーの小説を読むのは腰が重いので、「手塚治虫先生版の『罪と罰』を読んでみよう」という運びになった。
有名な物語でありながら、「私、読破しました」という人は少ないだろう。内容を語れる人も珍しいと思うが、名作というのは「知りたいけど読むには腰が重い」というのが多くの方が抱える本音ではなかろうか。
中田敦彦さんの解説動画は非常にわかりやすくて面白かった。中田さんも小説ではなくて別の作家の漫画版を読んだらしいのだが、現代の僕たちに受け入れられるように「『デスノート』のキラとエルのやりとりのようだ」と語った。
なるほど。罪を犯した男と事件を解決しようとする男の頭脳戦が繰り広げられるのだなぁ、と。それは非常に面白そうである。
手塚治虫先生版の『罪と罰』は、子供向けに描かれていて、かなりのアレンジが加えられている。またコメディー要素も散りばめられていて堅苦しく読むものではない。
どうやら1953年に描かれた漫画らしいので、もう70年も前の作品になる。
現代の僕が読むには、物足りさがあるのは仕方ない。子供向けに描かれた70年前の作品を、現代の40代の大人が読むのだから。
しかしながら手塚治虫先生の漫画描写には工夫がされており、構図や映画的なカット、詩的な一コマがあり、やはり手塚治虫先生の偉大さを痛感するのだ。
金貸しの老婆を殺害したラスコルニコフは、その罪を懺悔しようとするのだ。街の中で大声を発して「僕が殺したのだ!」と叫ぶ。しかし街では暴動が起きていて混乱の中、人と人とが暴力と殺し合いをしているのである。誰もラスコルニコフの声に耳を傾ける気配もない。
世の中が平和な時には、殺人という罪は捕らえられて裁かれるが、平和が崩壊した時、人と人が殺し合うことが日常になる。裁かれるよりも、時には英雄になってしまうのだから恐ろしい。
ラストには手塚治虫先生の皮肉あるメッセージが込められている。
今回「手塚治虫漫画全集」で『罪と罰』を読んだが、そこに書かれた手塚治虫先生の「あとがき」が非常に興味深く面白かった。
手塚治虫先生自体が学生時代に『罪と罰』を何度も読み返したという作品であったということや、ある劇団の公演で『罪と罰』が上演された時に手塚治虫先生がペンキ屋を演じたという。
本作の一部は、東京から大阪間の列車の中で描いたというエピソードは多忙であった手塚治虫先生の仕事が垣間見れて面白い。
『罪と罰』に関して、「小説を読まないために」中田敦彦さんの動画を観たり、手塚治虫先生の漫画を読んだが、結局「ドストエフスキーの小説を読みたくなっている」自分がいるのであった。
罪と罰(完全版)
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