久方ぶりに椎名誠作品を読んだのだ。
『ぼくがいま、死について思うこと』
椎名 誠 (著) |
二十歳頃の僕は椎名誠作品にどっぷりとハマッていた。
初めて椎名作品に出逢ったのは、新宿の紀伊国屋書店で購入した『黄金時代』。椎名誠自身による学生時代の物語で、ケンカに明け暮れた青春が書き綴られていて非常に面白く没入した。
椎名作品にどハマりした僕は、それから椎名誠の過去作も掘り下げていった。椎名作品は作品数が多く、古書店に立ち寄ると沢山の著書が本棚に並べられていて、当時の僕は興味ある作品を買い漁っていたのだ。
中でも椎名誠の生活を切り取った私小説『哀愁の町に霧が降るのだ』『岳物語』が大好きで、その他にも「怪しい探検隊」シリーズのビデオを揃えたこともある。
「怪しい探検隊」に影響されたこともあって、東京に住んでいた僕であったが、休日は都心部を離れ山登りを趣味にするようになった。
『哀愁の町に霧が降るのだ』の舞台となった江戸川区小岩の地を一人で散策するという、文学巡りをしたこともあった。
1998年『新宿熱風どかどか団』が発売された時には、新宿の紀伊国屋書店で椎名誠サイン会に並び、実物の椎名誠と対面した。
サイン会は作家がニコニコしながら愛嬌を振りまき読者の方々と優しく接しながら、順番に著書にサインをしていくことが通説だと思っていたが、そこにいる椎名誠に「めっちゃ愛想悪いやん!コワッ!」と思ってしまった。体格のイイ椎名誠に若輩者の僕はビビり、サインついでに一発ぶん殴られないかヒヤヒヤしたものである。
僕がブログの文章に「~なのだ」と記すのは、バカボンパパの影響ではなく、椎名誠を意識してやっていることなのだ。
さて前置きが長くなってしまったが、久しぶりに読んだ椎名作品『ぼくがいま、死について思うこと』の感想を少し。
本書では椎名誠が海外へ旅した時に見た異文化の「葬送」風景を綴った章が多い。
日本では「火葬」が主であるが、空腹の鳥たちに人の体を食べさせて送るチベットでの「鳥葬」や、遺体を野ざらしにするモンゴルの「風葬」、ネパールとインドで目の当たりにした「水葬」等、椎名誠が直面した海外での葬送を自身のエピソードともに書き綴っている。
しかし僕が期待して本書を手にとったのは、椎名誠が自分の「死」に向き合った「ぼくがいま、死について思うこと」である。海外の葬送のあれこれは勉強にはなるが、興味があったのはそこではない。椎名誠自身が自分の人生を振り返り、誰にでも訪れるいつかの「死」をどう考えていくか、そこが知りたかったのだ。
「あとがき」にて椎名誠自身の「死」について少々語られているが、「あとがき」ではなくてそれをメインでやれよ!というのが正直な感想である。
椎名誠が人生の中で死にかけたエピソードを語っている章やポルターガイストに遭遇した章は、興味深く読むことが出来たが。
そういえば本書で椎名誠の友であるカヌーイストの野田知佑さんについて触れられていて、野田さんは「ハリツケで死にたい」と語っていた。カヌーが転覆して激しい滝のような流れで全身を岩に押し付けられ激しい水流を見ながら身動きがとれなくなる死に方である。激流下りで一番死が多いケースだという。
野田さんは「好きな河に抱かれて死ねるのだから贅沢だ」と語っており、そんな文章を僕が読んだ翌日だった、野田知佑さんの訃報がネットニュースで流れてきたのは。先月の27日に野田さんは病気のため84歳で亡くなったらしい。
僕にとっては僕自身の「死」はリアルには考えられないが、頻繁に「生」と共に「死」を意識している方かもしれない。長く生きようと思いながらも、今ここで生涯を終えてもイイという想いが同時にある。でもそれは何となく考えていることで、リアルに思い詰めていることではない。
今回、久しぶりに椎名誠作品を手にしたが、今後も椎名誠を読んでいきたい。
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