『火花』読了。
『火花』のドラマは観ていたのだが、小説をやっと読んだ。
結論から申しますと、又吉先生、スゴすぎます!
小説は冒頭が大事とよく言いますが、『火花』の冒頭の書き出しから「こりゃスゴイ」と唸ざるを得ない。文章の表現が巧みで、又吉さんの今までの読書量がハンパないであろうことが伝わってきて、そのレベルの高さに一芸人の小説ということが吹っ飛ぶ。『火花』を読みながら本から火花が飛び散って、読者の顔を火傷させてしまう位なのである。
芥川賞の選考でも審査員の方々が「芸人ということを抜きにして」と作品で評価したと言っていたのがよく理解できる。
ストーリーに関しては先にドラマを観ていたので、続きが気になるということはなっかたが、この小説を読むと、あのドラマがいかに凄かったのか痛感した。
小説のストーリーをドラマでは多少肉付けしているが、小説の『火花』をすごく大事にしてドラマを作っている。小説を読んでいるとドラマの主題歌が頭で流れて、キャストの面々の顔が浮かび上がる。それは決して小説を邪魔しているわけではなく、あまりにも小説とドラマのキャスティングが最高にハマッていてお見事としか言いようがない。
又吉さんの繊細で巧みな文章表現はスゴイのはもちろんのこと、ドラマの制作者たちにも僕は拍手を送りたい。美しい映像と熱くなる音楽、魅力あるキャスティング、『火花』を最高のカタチで魅せてくれた。
ドラマの感想になってしまったが、又吉さんの小説愛とその知性が本物であることを、この『火花』は証明している。
日本語は美しい、本っていいものだ、小説ってステキだな、と思わせてくれる。
240万部売れるというのは、この出版不況というご時世では驚異的。
先日『君の名は』の映画を観た時も思ったが、良いものを作れば、こうして多くの人たちからの需要があるということである。
良い作品は賛否もあるが(賛否のない作品は作れないし、つまらない)、話題になって多くの方々に知ってもらえる。
僕が又吉さんの文学エピソードで好きなものがある。中学時代に同級生から「お前みたいなヤツが書いてあるで」と言われて、太宰治の『人間失格』を勧められて、太宰治ファンになった又吉さん。上京して三鷹に住むことになり、それから図書館で太宰の住んでいたところを調べていたら、自分の住んでいる場所が太宰が住んでいた住所であったというミラクルなエピソードが好きだ。これって偶然では片づけられない気がする。何か引き寄せられたというか、太宰の想いか魂が又吉さんに乗っかっているような。
この芸人を題材にした『火花』を読むと、又吉さんの芸人と本に対する敬愛が伝わってくる。
芸人はリアクションという動きも大事ですが、言葉を大事にしている。
サイレント映画の喜劇王チャップリンにしても、言葉を発さなくても、そこに多くの言葉を想像させてくれた。
芸人は、言葉のニュアンスひとつで笑いが生まれるか生まれないか、面白いか面白くないかの結果が出る。彼らは言葉の表現のプロである。だから芸人が小説を書くことも珍しくはない。ミュージシャンの方も共通すると思うが。
又吉さんの芸人としての言葉選びの巧みなセンスや表現力が、次は小説というジャンルで美しいカタチに表現されている。
自分というタンクの中に色んなものを詰め込んで、「お笑い」「小説」などと表現のノズルを変えて素晴らしい作品を生み出している。
また物事を見る視点が面白い。真正面からだけでゃなく、いろんな角度から物事を俯瞰して見れる独特の感性を持った方である。
いやぁ『火花』すごかった。もっと多くの人たちにこの美しい物語を読んでもらって、本を好きになってほしい。ぜひ『火花』を読んでみて下さい。
この記事へのコメントはありません。