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石ノ森章太郎『北斎』を読んだのだ。

ノ森章太郎先生が葛飾北斎を題材にした漫画を描いていたなんて知らなかった。

文庫版で上下巻で綴られた葛飾北斎の画狂人生『北斎』を興味津々で読むのであった。

葛飾北斎×石ノ森章太郎


葛飾北斎×石ノ森章太郎
という夢の競演がなされているわけだが、石ノ森章太郎先生が描く葛飾北斎の世界観とはいかに!

結論から言うと、すみません!正直つまらなかったです。

ハッキリ言って北斎の人生や生き様なんてのは全然描かれていなくて、どうでもいい内容が面白くもなく繰り広げられているのである。

石ノ森先生のあとがきを読むと「このコミック版北斎は、前掲の年譜につかずはねれずに、その業績ではなく、魅惑的な空白の部分 ー つまり、キャラクターとしての北斎の部分に想像の光を当てて製作してみました。」と書いてある。


そう、漫画の終わりには葛飾北斎の大まかな生涯の年譜が箇条書きされてあるのだが、石ノ森先生は北斎の生涯に近づきもせず離れもせずに、北斎の業績を描くことではなく、北斎のキャラクターを使って未知なる想像の部分を描いたわけだ

個人的な観念から言うと、僕は北斎の生涯に出来るだけ忠実に描いて欲しかったのだ。もちろん詳細なことはわからないし想像で描くことが大半なのだが、いわゆる伝記もののように石ノ森先生のフィルターを通して北斎の生涯が読みたかった。

想像による物語が面白ければ、それはそれで受け入れるしかないのだが、想像の物語がまたツマラナイのだから頭を抱えてしまう。

僕は石ノ森章太郎先生は好きな漫画家であるので、比較してしまうには大変恐縮なのだが、手塚治虫先生が『北斎』を描いていたのなら、読み応えのある面白い作品になっていたのだと思う。

調べてみると石ノ森先生が描いたのはわずかで、アシスタントのシュガー佐藤さんという漫画家が大半を描いていたというのは、嘘か誠か。

それにしても主人公である北斎が全然魅力的に描かれていない。ただの薄汚れた女好きのクソジジイなのである。

何故、葛飾北斎を題材にして漫画を描こうと思ったのか?不思議だ。

北斎を尊敬して描いている感じが受け取れない。

だから読者も北斎に感情移入することが出来ない。

北斎というキャラクターを尊敬して愛情を持って描いていたのなら、こうはならなかったはずである。

それとも当時、この漫画が発行された時には、それなりに面白く読めた作品であったのか。時代とともに漫画も変化していくのだから。

『北斎』

石ノ森章太郎(著)

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