横須賀美術館で先日拝見した運慶の『不動明王立像』を見て一目惚れ。描きたい衝動に駆られた。
迫力ある不動明王の顔と背中越しに燃え盛る火焔がカッコ良すぎた。
いざ自分で描いてみると、おやおや。
【不動明王】
「情熱の炎は消えない」 31.8×41.0 麻紙 墨 顔彩 |
煩悩を断ち切り仏道に導いてくれるために険しい表情を浮かべている不動明王。その姿を描くことは一筆に緊張が走る。
長渕剛さんが昔テレビ番組のチャリティーオクションで樹齢200年のクスノキに不動明王を描いて800万円で落札されたが、その絵は迫力に溢れていた。
絹谷幸二さんが描いた不動明王も迫力に満ち、大好きな作品である。
名立たるアーティストたちが不動明王に惹きつけられ作品にしたいという想いで、素晴らしい名作を生んできた。
しかし、自分はどうだ?
毎度毎度そうなのだが詩画を描く度にボツ作品を量産しているだけのようにも思える。
一応作品紹介はしていくが、気に入った作品は仕上げられない。
不動明王はもっと迫力ある絵にしたかったが、想像通りにはいかなかった。
今まで描いてきた詩画は自分の中ではリハーサルで、上手く表現出来なかった欠点を本番でしっかりと描く。そんな言い訳を自分で作り、リハーサルで描いた詩画を自分の戒めにする。
毎度顔彩で描いているが、今後はアクリルで描いたり表現方法を変えてみたり、作品の幅を拡げていきたい。
やはり個展を開催したり詩画集を作ったりするとなると、このまま自分の気に入らない作品を掲げるのは許されない。ましてや販売等をして、誰かに金銭の受け渡しをして罪悪感にさいなまれるのも不本意である。
理想は堂々と自分の作品を展示したり、詩画集に収めることだ。
自分が気に入った作品を描き上げる技術がないので、頭に描いたイメージを情熱的に絵筆を走らせて理想に近づける。
修行である。
般若心経を何度も何度も写経していくように、絵筆を握り何度も何度も自分の詩画を完成度の高いものへと導いていく。
最近は仏像を描きたい衝動に駆られることが多く、仏像をモチーフにした作品が増えそうな気がする。
その時に描きたいものは自由で、詩と絵が合っていれば、それでいい。描きたいと思ったものを描き、向き合う。
絵を描くことは楽しいが、絵を描くことは難しい。
ダ・ヴィンチがひとつの絵を何年経っても完成させない気持ちが少しはわかった。ダ・ヴィンチと比較するのは恐れ多いが。
絵の完成は自分がここで完成だと思えば完成で、完成だと思わなければ完成ではない。妥協して完成とすれば妥協してても完成になってしまうのだ。
上手くいかなったことを次回に活かしていきたい。
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