前作、第一作目の『大魔神』のクオリティーの高さに驚いて、第二作目を観ることにした。
『大魔神怒る』 ハニワの「無」から、 「怒」に変わり暴れる痛快さ! 監督:三隅研次 出演:本郷功次郎 藤村志保 丸井太郎 |
『大魔神』に続く第二作目。
脚本は『大魔神』の吉田哲郎、『酔いどれ博士』の三隅研次が監督。
『大魔神』の森田富士郎が撮影。
1966年製作/79分/日本
原題:The Return of Majin
配給:大映
戦国動乱の頃、圧制に苦しむ御子柴領では隣国の千草領に逃げようとする人が絶えなかった。
平和な千草領には若き城主・千草十郎と許婚の早百合が暮らしていて、その八雲の湖には武神像が守り神として祭られていたのだ。
ある晩、御子柴弾正は千草領に攻め込み悪の限りを尽くし、十郎や早百合達を火祭の刑に処そうとするのだが、弾正らの手によって破壊された武神像が湖に沈んだ途端、・・・湖が裂け、大地をゆるがし、怒りに燃えた大魔神がその姿を現したのだ。
第一作目の『大魔神』を観た時に、圧倒的なクオリティーで驚いた。
日本のひと昔前の特撮を観ると、どうしても技術が追い付いてなくてチープになってしまうのが当然だと思っていたが、『大魔神』のクオリティーは1960年代の映画とは思えないほどに凄かった。
そして第二作目の『大魔神怒る』も、力強い世界観とクオリティーに圧倒された。
大魔神という発明はメチャクチャ良いものなのに、このまま新作を発表しないのか勿体ない。
ゴジラのように、もっと幅広く世界に認知されて人気になっていく作品になりうると思う。
人間の善と悪を描き、人間の渦巻く欲望に大魔神は怒る。
ハニワの「無」の表情から、真逆の「怒」の表情になった時、収まりがつかないぐらいに暴れ出す。
日本の時代劇で見られる『水戸黄門』や『暴れん坊将軍』のように、物語の中盤まで散々悪者の悪事を描き、後半になって思いきり成敗する流れは、やはり分かっていても痛快なのだ。
ハニワの表情とのギャップが凄すぎて、怒った大魔神は恐怖の存在でしかない。
しかし大魔神が怒り暴れるのは、欲望にまみれた悪事を働く人間に対してだけの恐怖なので、善人にとっては守り神なのである。
もしも現代に大魔神が存在してくれていたら・・・、と思う。
欲望にまみれた悪事を働く日本のぐちゃぐちゃした大きな組織を、大魔神に思いきりぶっ壊してもらいたいといったところで「カット、カット」。
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