山梨県立文学館で開催されている『芥川龍之介 生誕130年 旅の記憶』に行ってきたのだ。
開館間もなく訪れ、午前中の澄んだ空気が心地良い。
芥川龍之介の生誕130年ということで、「旅の記憶」と題して、芥川龍之介が旅をした軌跡を辿っていく特設展。
東京で生まれた芥川龍之介がその生涯で、どこを旅して、何を感じて、一体どんなことを書き記していたのだろうか。
芥川龍之介の「旅の記録」が「旅の記憶」として、日記や手紙、メモに残されていて、非常に興味深い。
14歳の頃の芥川は家族で千葉県の勝浦にしばしば旅行したという。夏には友人6人と横浜まで徒歩で旅行をした。
1908年16歳の7月には友人と山梨・長野・群馬を巡る7泊8日の旅に出ている。
因みに16歳ではあるが高校生ではなく、当時だと中学4年生であった。
山梨では昇仙峡に訪れた時の日記が展示されてある。「この青い水に紫の藤が長い花をたらしたならさだめて美しい事と思ふ」。16歳の芥川が非常に豊かな感性で、瞳に映った織りなす自然の風景を優しく捉えている。
徒歩や鉄道を利用しながら友人と旅をしている芥川の情景を思い浮かべると、彼らがどんな会話をして、どこで足を止めて、心に何を記憶をしたのか、そんなことが気になり芥川の丁寧に書かれた文章のひとつひとつに想像力を膨らませるのだ。
芥川は生涯で関西にも何度か好んで足を延ばし、「京都をロマンチックの都とすれば 奈良はクラシックな都である」と言っている。
北は北海道から南は九州まで、実に多くの地へ旅をしていたことが展示品を通して伺い知れる。
中でも印象的であったのは、島根県の松江への旅行だ。
芥川は23歳の大学二年生の頃に結婚の話まで進んでいた女性がいたが、養家の反対に合い破談になり、友人に誘われて松江へと傷心旅行に行っていたのである。
17日間滞在した松江の旅行から僅か三か月後に『羅生門』を発表。どうやら失恋の後遺症で気が沈むので、現実とはかけ離れた「愉快な小説」を書いたのだ。
当時では珍しく芥川は海外旅行にも行っている。1921年の29歳の時に、約四か月に渡って大阪毎日新聞社の海外視察員として、中国各地を訪問している。
展示品の中には、1916年に夏目漱石から芥川龍之介に宛てた手紙もあった。
芥川は小説が評価されず、「小説を書くのをやめたらどうか」と声が聞こえてくるほど無名の文学青年だったが、漱石からの手紙には「そんな事に頓着しないで、ずんずん御進みなさい。群衆は眼中に置かない方が身体の薬です。」、「どうぞ偉くなって下さい。しかしむやみにあせってはいけません。ただ牛のように図々しく進んで行くのが大事です。」と綴られていた。
芥川は漱石を先生と呼ぶ程に慕っていたので、さぞかし励みになったに違いない。周囲の「やめろ」という声よりも、漱石先生の「気にしないで、進みなさい」という一声は、何よりもの大きなチカラである。
あらゆる地を旅した芥川の体験が、きっと作品にも反映されているのだろうと思うと、とても感慨深いのだ。
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