山梨県立美術館で開催されている『縄文―JOMON―展』に行ってきたのだ。
山梨県は遺跡から膨大な数の土器や土偶が発掘され、「縄文王国」と称えられていることでも知られている。
遥か一万六千年以上昔の縄文時代にタイムスリップするように、館内へと足を運ばせた。
本展は全て写真撮影OKで、縄文時代の文化や人々の生活を想像しながら、存分に縄文を堪能することが出来る。
摩訶不思議な土器を前に、その文様に釘付けになるのだ。
土器を作っている姿を想像し、暮らしの中でどのように土器を使っていたのかを考えるが、文明の利器に頼っている僕の頭では理解が難しく、「よっぽど僕の脳みその方が原始的だ」と落胆する。
しかし落胆することなかれ。一万年以上も前の人類の大先輩たちの作品を、最近生まれた小僧が全てを理解出来るわけもない。
縄文は激しく、尊い。
会場では写真家の小川忠博氏が撮影した遺物の写真が並ぶ。
見れば見る程に理解が追い付くのではなく、見れば見る程に迷宮入りしてしまう。
縄文の不思議の数々は神秘的で未知なる宇宙である。
本当に宇宙人的な何か繋がりがあったのではないか。土器や土偶を眺めていると、そう考えざるを得ない。何もインスピレーションを受けずに、果たしてこのようなデザインの物を作るのだろうか。
何故、実用性があるとは思えないカタチや文様を表したのか。何か意味や意図があったのか、それとも気まぐれか。
縄文時代にはテレビがあるわけでもネットがあるわけでもない。彼らの娯楽は何だったのだろう。もしかすると土器や土偶を作ることに娯楽性を生み出し、暇つぶしを楽しんでいたのかもしれない。
渦巻きの文様は波のように脈打ち、異空間の魅惑的な迫力を与える。
渦巻きを見て頭に浮かんだのが「ゴッホ」。ゴッホの渦巻きの描写が作品に迫力を与えた謎が縄文を見て腑に落ちた。
縄のような文様を巡らせていることが謂れである「縄文」。
不思議渦巻く縄文の風に吹かれ、迷い込んだ現代人はアスファルトの上を歩き、太古の昔に偉大なる先祖がいたことを思い出す。
縄文の謎が解けた時、宇宙の謎が解けるかもしれない。宇宙の謎が解けた時に、縄文の謎が解けるかもしれない。
土器や土偶から発せられる壮大なテーマを勝手に感じ取って妄想を膨らませる。
『縄文―JOMON―展』は歴史を遡る貴重な展覧会であると同時に、観る者を摩訶不思議な世界へといざなう壮大な大冒険なのだ。
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