昨年購入して未視聴のままだった『TV見仏記2 滋賀/奈良編』を観たのだ。
『TV見仏記2 滋賀/奈良編』 |
「TV見仏記」の醍醐味といえば「みうらじゅん」さんと「いとうせいこう」さんが軽妙なトークを繰り広げながら、全国の「仏像」を「見物」して「仏像を紹介」する番組だ。
今回観たのは偉大なる「TV見仏記」の第二弾。滋賀と奈良を「仏像」を「見物」するために巡る。
2001年に関西テレビ☆京都チャンネルで放送された今回の「滋賀 / 奈良編」は、もう20年以上前の貴重映像。
みうらじゅんさんが番組内で自身を「44歳」と言っていたので、現在の僕よりも年下である。
軽妙なトークが薄っぺらにならないのは、その内側の膨大な知識に基づいた言葉と、尽きることない好奇心と探求心が根底に流れているからに他ならない。
滋賀の仏像を拝み奈良へとロケ地を移すが、道中の旅場面はほぼカットである。寺から寺へと時空を移動するように渡り歩き、ひたすら仏像を前に二人が堅苦しくない独自の仏像トークを展開させる。
寺の詳細な紹介もない。寺に訪れたら即「仏像」、直「仏像」。まるで「仏像」から「仏像」へとイリュージョンを繰り返しているように見える。
少しは「仏像」以外の、その土地や寺の紹介があっても面白いとは思うのだが容赦ない。ひたすら「仏像」を「見物」するのが「見仏記」。
合間にお茶菓子を楽しみながら、何の重厚感もないトークを連発。一切、真面目に仕切り直そうとしない二人の掛け合いは、それこそ神がかり、いや仏がかり。
ロン毛の「みうらじゅん」さんと前髪パッツンの「いとうせいこう」さんの話芸が、20年以上前から現在まで未だに健在であることが嬉しい。
当初「見仏」することは「けしからん」と住職の方に叱られたこともあるという。「仏様」は「見る」ものではなく「拝む」ものだ、と。
たまたま語呂が良くて「見仏」にネーミングしたと思うが、そんなことに目くじらを立てて怒ることでもない。寺に眠り飾られているだけの「仏像」を多くの方に「見仏」してもらうことは良いことではないか。
何せ興味のなかった僕でさえ興味を抱くようになったのだから。入口は何でもイイのだ。テレビで面白おかしく紹介されているのを観て、そこから興味を抱き自身で調べるようになり寺へ足を運び仏様を拝むようになる。
今、多くの人たちが仏像に惹かれ寺や博物館等に訪れる機会を作ったのは、「見仏記」の貢献が大いにあると言えるのだ。
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