毎日の憂鬱に遺書でも書いてみた。
死にたいと毎日のように思っていると、だんだんとそれにも飽きてくる。
結局はしっかりと食事をして睡眠をとっているのだから、生きる行為をしているのである。
そんな自分が間抜けであり滑稽だ。
夢なんて語るな。
笑われるだけさ。
愛なんて語るな。
傷つくだけさ。
人なんて信じるな。
虚しくなるだけさ。
誰にも期待も依存もするな。
バカを見るだけだから。
この世は憂鬱で溢れ返っている。
世界の美しさを誰かが語ってみても、憂鬱な世界で生きている者にとっては目に映るもの全てが憂鬱なのさ。
綺麗ごとの御託を並べ立ててみても、クソみたいな憂鬱が広がっているだろう。
病み切った世界にゴミクズのような自分が憂鬱な顔をぶら下げて、のこのこと生きている。
どうすれば死ねるのだろうか。
どうすれば生きていけるのだろうか。
両手を合わせて祈ってみても、通りすがりの憂鬱に笑われるだけ。
あれから毎日にモヤがかかり、目まいがしそうな風景を見つめていたら、雨で滲んだように涙が浮かんだ。
前が見えないのは、未来が見えないせいなのか。
「上を向いて歩こう」を歌おう。涙がこぼれないように。
憂鬱な毎日に僕は生きていて、精神ギリギリの綱渡り状態。
誰かが軽く僕の肩を押しただけで、ふらりと真っ逆さまに堕ちていくだろう。
誰にもバレずに、ひっそりと死んで消えてなくなることが出来たら、どんなにラクだろう。
実際に消えてみても、何も変わることはないが。
死ぬことが大罪ならば、生きることも大罪。
自分の罪を背中に背負い込んで、「罪深き我を救いたまえ!」と懺悔する。
雨に打たれて絶叫して、流れる涙を雨で誤魔化してしまおう。
誰か注射器を持ってきてください。
誰か僕の憂鬱に注射器を打ってください。
のけぞりながら、のたうち回り、僕は狂って暴れ出す。
真っ黒な世界でも「地球は青かった」とガガーリンが言ったのは嘘か本当か、地球のブルーはもしかして憂鬱のブルー?
地球は青かった!地球は青かった!地球は青かった!
憂鬱のブルーさ!憂鬱のブルーさ!憂鬱のブルーさ!
誰か僕の憂鬱に注射器を打ってください。
今回『憂鬱エブリデイ』という作品を描いた。
石のように頭が重く、注射器をぶち込んだ。
足は地面に根を張り身動きが取れず、どこにも逃げ場がない。
周囲にはムスカリの花が咲いていて、花言葉はもちろん「憂鬱」。
憂鬱な毎日が僕を跡形もなく喰い散らかしてくれるだろう。
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