村田沙耶香著『コンビニ人間』を読んだ。
第155回芥川賞受賞作だ。
主人公の古倉恵子は大学を卒業してから、就職もせずに、コンビニバイトをして18年。これまで彼氏なし。コンビニが彼女にとっての全てだった。
ネタバレはあまりしないように感想を書こうと思うので、あらすじは省きます。
すごい高評価が目立つ『コンビニ人間』でしたが、俺はそこまで面白いと思わなかった。小説をあまり読まないからなのかもしれないので、文学好きな人たちのような感性がないだけなのかもしれないが。
文章を繋いでいく技術は、さすがスゴイなぁと思った。文章表現の乏しい俺なら、このアイデアを小説にしていくと三分の一で完結してしまう。そこを巧みな文章で繋いでいく様はスゴイと思う。
この小説に出てくるいわゆる普通の人たちは、「普通ではない」人間を奇奇怪怪な目で見るのだけど、俺自身はどちらかと言うと「普通ではない」人間だと思う。だからこそ主人公である古倉さんや後に登場する白羽さんという男が、この小説では異物扱いされるのだが、俺は別に変だと思わなかった。
人の人生はそれぞれで、必ずしも就職しなくてはいけないこともない。必ずしも結婚しなくてはいけないこともない。それはこの国の洗脳だと思っている。コンビニ人間の古倉さんが異常ならば、この国の常識に洗脳された人たちも俺は異常だと思う。
当たり前のように進学をして、当たり前のように就職をして、そこに何の疑いもなく、日常に不平不満を漏らしながらも、その生活を変えようとはしない。そのくせ、それ以外の生き方をしている人を偏見の目で見る。皆、異常な「普通」に縛られているのだ。
本当は人の数だけの生き方がある。それを一通りや二通りぐらいの生き方しかダメだと思うから生きづらくなる。
だから村田さんが描いた異常な古倉さんも白羽さんも、俺には別に異常でも何でもなかった。
ただ訴えかけたいことは何となくわかった。そんなおかしな世界を、この古倉さんと白羽さんを通して疑問を投じている気がした。
あと俺は、古倉さんみたいな人を結構見てきた気がする。というかこれは『コンビニ人間』なだけであって、サラリーマンだって『会社人間』である。
18年間もコンビニバイトで彼氏もいないという女性に、偏見の目で世間が見ているだけで、それは余計なお世話なのだ。
何十年も会社人間な人もいれば、引きこもり人間もいる。別にそれでいいじゃないか。
年齢イコール恋人なしの人なんて、世の中に沢山いるだろう。
その人たちが他の人たちよりも劣っているとか、幸せでないとか、そんなことは他人が判断することではないのだ。
自分の人生をどう生きるか、そこにだけウソをつかないで生きていけばそれでいい。
俺はそう思う。
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