謎多き江戸時代中期の浮世絵師、東洲斎写楽とは一体誰なのか?
現代、日本国に住む日本人ならば誰もが目にしたことはある写楽の役者絵。
そんな後世に残る有名な役者絵を描いた写楽だが、写楽の正体が誰であるかを誰も知らない。
「何、言ってんの?写楽は写楽じゃん。しゃらくせぇなぁ」と言う人もいるだろう。
東洲斎写楽は江戸時代中期に活躍した浮世絵師なのだが、その活動は約10ヶ月間。その短い間に役者絵やその他の作品を版行した後、忽然と画業を絶って姿を消したのである。
寛政6年(1794年)5月から翌年の寛政7年(1795年)1月にかけての約10ヶ月の期間(寛政6年には閏11月がある)内に、145点余の作品を版行。
東洲斎写楽とは一体誰なのか?
何故、わずか10ヶ月間の活動期間で行方をくらましてしまったのか?
謎が謎を呼ぶミステリーに包まれた東洲斎写楽。その謎に迫る!
アンビリーバボー!!!
「俗称斎藤十郎兵衛、八丁堀に住す。阿州侯の能役者也」
天保15年(1844年)に『江戸名所図会』などで知られる考証家・斎藤月岑が著した『増補浮世絵類考』の「写楽斎」の項には、「俗称斎藤十郎兵衛、八丁堀に住す。阿州侯の能役者也」と記されているのだ。
わかりやすく説明すると、「通名は斎藤十郎兵衛、八丁堀に住む。阿波徳島藩主蜂須賀家お抱えの能役者である」ということである。
これが唯一の江戸時代に書かれた写楽の素性に関する記述なのだ。
当時の八丁堀では徳島藩の江戸屋敷が存在して、その中屋敷に藩お抱えの能役者が居住していた。
また蔦屋重三郎(つたや じゅうざぶろう)の店も写楽が画題としていた芝居小屋も、八丁堀の近隣に位置していたのである。
「東洲斎」、江戸の東に州があった土地。それを意味している土地を考えれば、八丁堀か築地あたりしか存在しない。
更には「東洲斎」を並び替えてみると、「さい・とう・じゅう(斎・藤・十)」というアナグラムになっているのだ。
「それだよ、それ!その斎藤十郎兵衛って人が犯人だよ~!!」
犯人って・・・。犯罪者じゃないからね。
「写楽の正体は斎藤十郎兵衛!もう決まり!」
早まるなかれ。続いて次の説を紹介。
「写楽=斎藤十郎兵衛(本業は能役者)」説が有力であり、「写楽問題はすでに存在しない」といわれている。
しかし、相変わらず、その斎藤たるものがどんな画業をしていたのかわからない。斎藤に関する記述も、その作家論も書かれていないのだ。
葛飾北斎は、寛永5(1793)年まで黄表紙、役者絵を描いていたが、寛永6(1794)年初頭にぷっつりと消息を絶つ。寛永7(1795)年宗理と改名して再登場。そして何度かの改名を経て文化2(1805)年に葛飾北斎を名乗る。
写楽が現れたのは10ヶ月間でしかなく、驚くべきことに、それが葛飾北斎の空白期に当たるのだ。写楽の活動時期と北斎の空白の期間がぴったり一致するのである。
「ウソだろ、おい・・」
北斎は写楽が出てくるまで同じ役者絵を描いていたのだが、両者の役者絵はすこぶる似ているのだ。
勝川春朗(葛飾北斎)『初代中村仲蔵の景清』
決定的だといえるのは、二人の絵が同一の版木の表裏を使って摺られていたという事実である。
勝川春朗時代の北斎と写楽には更なる共通点があり、スポンサーでありプロモーターの蔦屋重三郎(つたや じゅうざぶろう)が二人の浮世絵を企画、出版していたのである。
蔦屋は写楽を最前線に引き出した人物だ。
ちなみに「TSUTAYA」の名前の由来にもなっている人物。
蔦屋重三郎は江戸時代の名プロデューサーなのである。
蔦屋と写楽は顔を中心にした大首絵に、思い切って顔に個性を入れて役者の感情や表現を加えた。
僅か10ヶ月で写楽が浮世絵をやめた理由には、写楽の図が華やかな雲母摺りであったため、寛政の改革にひっかかったということである。
寛政の改革:天明7年(1787年)~寛政5年(1793年)。
老中・松平定信が主導した幕政改革であり、江戸の三大改革(享保の改革、寛政の改革、天保の改革)のひとつ。天明の大飢饉のあとに行われて、緊縮財政や学問・風俗の取り締まり・飢饉に備える備荒政策などが中心。
写楽が姿をくらました以後の北斎は30回以上の改名と90回以上も引越をして、幕府の追及から逃れようとしていたのかもしれない。
実証 写楽は北斎である―西洋美術史の手法が解き明かした真実
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東洲斎写楽とは一体誰なのか?
その結論なんて、たかだか僕個人のブログで答えなど出るわけもなく、考えれば考えるほどにグルグルと迷宮入りしていくのである。
「マジ、わっかんねぇ・・・」
そもそも、写楽が一人であったのかどうかもわからない。
写楽は六人いたという説まで浮上した。
その第一番目の写楽は女性であり、蔦屋重三郎が構想して、喜多川歌麿が指導して送り出した女性、千代女。
彼女が世界が驚嘆した絵を生み出した写楽だったというが、説というよりは、ここまで来ると創作推理ものかな。
とにもかくにも謎のベールに包まれた東洲斎写楽。
東洲斎写楽が描いた、その浮世絵が多くの人々を魅了してきたことだけは、ハッキリとわかっている真実なのである。
面白い
ありがとうございます。
魅力的で魅惑的な絵師、写楽。一体、誰??