近年、演劇や映画の現場でのパワハラ、セクハラの問題が明るみになっている。
昔から蔓延していた悪しき習慣みたいなものが存在したと推測されるが、SNS等の普及により被害者が勇気を出して声をあげることで多くの不祥事が明るみになってきている。
モノ作りの現場で血気盛んな職人たちが白熱して、言葉が荒くなったりモノを投げつけたり手を出してしまったりすることは想像も出来る。
命がけで現場で仕事をしている人間にとってはハンパな仕事は許せない。
時代背景にもよりけりでエンタメ業界ならずとも、そのような光景は見られた。学校の教育現場でも教師がフツーに生徒をブン殴っていた時代もある。
モノ作りの現場において大いにケンカすることは個人的には理解出来る。もちろん冷静に話し合いをして遺恨を残さないカタチでモノ作りに携わるのが理想であり当然のカタチであるとは思うが。
しかし立場の強い人、権力のある人が自分より立場の弱い人に一方的に度を越した感情をぶつけるのは、やはり間違いである。
特にセクハラ問題に関しては明らかにモラルを逸脱した許せない行為。
UnsplashのMihai Surduが撮影した写真
モノ作りの現場において「監督が女優を誘う」だとか「プロデューサーがホテルの部屋に女優を呼ぶ」だとか、全くもって意味不明な関係のない行為である。自分の立場を利用した非常に悪質な行為なのだ。
仮に恋愛感情を抱いたとしたのなら自分の立場を利用せず、相手の立場を考慮して丁寧に対応していくべきだと思う。
昨今、演劇や映画の現場でのセクハラ問題に関してのニュースが世間に明るみになった時、正直「自分が好きな監督」も「知り合いの監督」もいた。
心境としては複雑だが、やはりニュースが出る前から「評判が良くない噂」もチラホラ耳にしていたものだ。
評判が良くない噂が広まるということは、その人自身に問題があったのは確かだろう。
またニュースで表面化する問題はほんの一部にしか過ぎず、氷山の一角と捉えた方が正しい気がする。今までの悪事の一部が取り沙汰されただけで、多くの悪事が積もり積もって一部が世間に明るみになったのだと考える。
演出家や映画監督等は自分の立場に勘違いしてしまうのは、元々彼らは学生時代に非モテの存在で学生時代は女子と接することがなかったにも関わらず、綺麗な女優さんである校内一のマドンナ級の女性と接することで大いにバカな勘違いをしてしまうのだ。どんなブサイクな監督でも、綺麗な女優さんと接することが出来てスケベ心を働かせてしまう。
「勝手に風俗でも行ってろ!」と思う。プライベートで好き勝手に女遊びをするのは自由だが、現場にお前の欲求を持ち込むな。気色悪い。
他のことが不純で非常識であっても、モノ作りに関してだけは純粋でいて欲しい。
著名な監督がバカげた行為に走るのは「必要以上に周りにチヤホヤされた勘違い」も大きいのかもしれない。
僕個人にとっては映画作りをする時、女優さんに限らず出演者さんは「役柄に必要な存在」で、自分の頭の中のイメージに合致しているのが最優先で、「自分のスケベ心」でキャスティングすることはない。女遊びに興じるなら全然プライベートで遊ぶので、むしろ現場に持ち込みたくない。
また自分の作品が「パワハラ」「セクハラ」によって完成した作品であったとしたら、自分が一番イヤ。そんな作品を自分で観返すことも出来ない複雑な心境になる。
自分の作品に携わってくれた人たちの誰かが傷付いてしまうカタチで終わるなんて許し難い。
不祥事を起こした彼らが、誠実に謝罪しないことも不思議である。被害者の方に謝罪することが最優先で、自分の保身や復帰は後回しなはず。事実と違うならば嘘のない言葉で説明をすればいい。大抵の人が逃げ隠れして謝罪もせずに、自分の立場のことばかりを優先しているのが不思議だ。謝罪と説明を最優先することが、自身の信頼の回復にも繋がるのではないか。
エンタメに携わる人が腐っていると本当にゲンナリする。「人を楽しませること」が目的なはずなのに「人を悲しませること」に自分のチカラを注ぐ、そういうバカはエンタメとは対極に位置するので業界から姿を消して欲しいと願うのだ。
UnsplashのMark Thompsonが撮影した写真
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