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評論の論。あえて評論の良いところを言おうではないか。

今、誰しもが評論家で一億総評論家時代の到来だ。

芸能ニュースを取り上げては、評論家やコメンテーターがこぞって訳知り顔で語り出す。また映画も書籍もアートも、ああでもない、こうでもないと、評論する。

挙げ句の果てには、自分の評論と他人の評論の相違で、第三者同士がバトルを繰り広げるなどの滑稽な展開になることもある。

僕は評論家よりも、自分でモノづくりをしている人の方が好きだ。自分の好きなことに夢中になってる人の方が、外野で評論しているより魅力的だ。

それぞれの才能や向き不向きもあるので、誰かが作ったモノを楽しむ側にまわっている場合も何ら問題はない。多くの人達は創作者ではなく、その作品を楽しむ側だ。

作品を楽しむという事は、大いに評論するという事も楽しみのひとつではないか。

作品に点数を付けたり、星マークを付けたりするのは失礼だと意味不明な事を言う人もいる。一生懸命やって報われるなら、食べログは全て星5つだ。厳しいが不味いと判断されたなら、点数は低く評価されるものである。

どこの世界でも厳しさは変わらない。スポーツでは、どれだけ一生懸命に練習してプレーしても、成績が悪ければ評価されないし、観客や評論家から、はたまた酒を飲みながら試合を観ているオヤジにボロクソに言われるものなのだ。

アートの世界だけが評価される事を拒んでいたら発展はない。

評価や評論というものがあればこそ、その世界は発展していくものなのだ。

僕も評論をする。僕の場合は「評論」というよりも、ほぼ「感想」なのだが・・・。それはともかくとして、今回あえて評論の良いところを言おうじゃないか。

作品というものがあれば、評論が出てくるのは至極当然のことだ。作り手も創った作品の、評論というものを待っている。

アカデミー賞や芥川賞、直木賞などなど、作品を評価して評論してくれる場がなければ、作り手にとって寂しいものだ。

僕が言いたいのは、そんなことではなくて、
評論をするというのは自分の思考を深める、ということなのだ。

これが評論する側のメリットだ。

例えば一冊の書籍を読んだ時に、多くのことを発見して多くのことを自分の言葉で語れる人と、全然語れない人とでは、思考の深さが違うのだ。要は自分があるかないか。自分という芯を持った人は、自分の感じたことを自分の言葉で語ることができる。自分の芯がない人は、薄っぺらなことしか語れない。もしくは何も語れない。

僕は20歳位の時に映画や書籍の感想文をノートに書いていた。それは自分の思考を深めるために敢えてやっていた。

テレビのコメンテーターを観ていても、自分の芯を持っている人は周りの意見など関係なく、自分の思っていることを語る。ビートたけし、松本人志、堀江貴文など、自分の芯がある人は自分の言葉で評論するから、聴いていて面白い。他の人が発想しないようなことを、彼らは自分の考えで語る。

自分の思考を深めるために、いろんなものを敢えて評論してみるのもいい。

賞を受賞してるから面白いものだとか、ヒットしてるから面白いものだとか、安易なアホ思考はやめて自分の思考を深めて評論すると、自分自身の感受性は鈍らないはずである。

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