コロナウィルスによって、これほどまでに激変した状況下に置かれることを、一体誰が想像したであろうか?
2020年は、東京オリンピックが開催される予定であったため、日本ではそこに向けて準備をしていた。
また東京オリンピックに合わせて、ビジネスプランを考えていた方々もいるだろうし、一儲けしようと事業を進めていた方もいるだろう。
2020年という年に何かわからないが漠然と一つの節目を僕自身も感じていた。
だけどもそれがコロナウィルスによるものであるとは想像だにしていなかった。
2020年、個人的なことではあるが僕にはオリンピック以上に楽しみにしていたことがあった。
僕は元々スポーツ全般において興味はなく、オリンピックも楽しみにしていたわけではない。
僕が楽しみにしていたのは、美術館でのアート鑑賞であった。
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2020年はどんなアート作品が公開され展示されて、僕たちを楽しませてくれるのだろうか?そんな楽しみを胸にワクワクとアート作品展示企画開催の雑誌を買って、ムフムフと鼻息を荒げながらチェックしていたものだ。
しかし、2020年が明けて、僕は何ひとつその鼻息の回収をしていないのだ。
今年はこのアートを見に行こうと決めていたものが、なかなか見れない状況であったり、また今後開催予定である企画展も、開催される保証はない。
もちろん美術館に限らず、多種多様に渡る業種で同じような不安や悩みの対象にはなっているのだが、本当に見通しが立たない。
外出自粛要請により、自宅で楽しめる娯楽を探している人も多いので、受動的な動画配信サービス等は必然的に需要が増えるが、自分の足を運んで能動的に楽しみを求めるサービスは絶望的なのである。
オンライン美術館等のサービスも余儀なくされて提供されてはいるが、やはり実物を見ることが何よりの価値だったりする。
美術館等への支援というカタチでオンラインを活用することはあっても、生で見る迫力と感動を求めてしまうのは仕方ない。
だからと言って、あまり悲観的になることは望ましくなく、それこそ創造性に欠けるのではないか?
どんな状況下においても、「やれることはあるのだ」。
手塚治虫先生の『紙の砦』という漫画では、戦時中でも漫画を描く手塚治虫少年がいた。教官に体罰を受けながらも漫画を描く。時には、トイレに漫画を張り出して、用を足す人たちを楽しませてくれていたのである。
コロナがいつ収束するのか?至る所で色んな見解があり、情報が溢れかえっている時代だから、毎日のように目まぐるしく変化もする。昨日の常識が今日の常識とは限らない。
店舗や施設に入るのに、マスクの着用やアルコール消毒、人数制限をして人と人の距離を一定間隔保ちながら、アートやエンタメを楽しむ世界が当たり前になるのだろうか。
VRの開発や普及も一層進むであろう。
ZOOMというアプリを使って遠隔で会議や飲み会が行われるようになっているが、VRのゴーグルを着用して、目の前に人が存在するかのような臨場感で世界各国の人たちと飲み会が出来るようになるのだろうか。現状では、全員がゴーグルを着用してしまうので、その姿をカメラで撮影すると肝心な顔が隠れてしまう問題点が浮上するのだが。
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働き方や暮らしが変わり、アートやエンタメの楽しみ方も変わってくるけれど、僕は今、美術館に何の気兼ねもなく行ける未来を待ち望んでいる。
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