リドリー・スコット監督の『最後の決闘裁判』を観たのだ。
『最後の決闘裁判』 それぞれの視点と都合の良い解釈。 凄惨な内容と壮絶な決闘。 監督:リドリー・スコット 出演:ジョディ・カマー, マット・デイモン, アダム・ドライバー, ベン・アフレック |
巨匠リドリー・スコット監督が、エリック・ジェイガーによる『最後の決闘裁判』を原作に描くミステリー。
『最後の決闘裁判』 |
600年以上前にフランスで行われた決闘によって決着をつける決闘裁判の史実を基に、アカデミー脚本賞受賞作『グッド・ウィル・ハンティング 旅立ち』以来のタッグとなるマット・デイモンとベン・アフレックが脚本を務める。
『キリング・イヴ Killing Eve』でエミー主演女優賞を受賞したジョディ・カマーが、女性が声を上げることの出来なかった時代に立ち上がり、裁判で闘うことを決意する女性マルグリットに扮する。
カルージュをマット・デイモン、ル・グリをアダム・ドライバー、主君ピエール伯をベン・アフレックが演じる。
2021年製作/153分/PG12/アメリカ
原題:The Last Duel
配給:ディズニー
1386年、百年戦争さなかの中世フランスで、騎士カルージュ(マット・デイモン)の妻マルグリット(ジョディ・カマー)が、夫の旧友であるル・グリ(アダム・ドライヴァー)から乱暴を受けたと訴える。
目撃者もおらず無実を主張したル・グリの真実の行方は、カルージュと生死を懸けた「決闘裁判」に委ねられる。
勝者は正義と栄光を手にするが、敗者は決闘で助かったとしても死罪となり、マルグリットは夫が負ければ自らも偽証の罪で火あぶりの刑を受けることになる。
内容を知らぬまま観ていたので、小難しい内容が繰り広げられ物語についていけなくなってしまうか心配だったが、第一章が終わる頃に「なるほど、この裁判だったのか」と理解出来て、そこからは物語に後れを取ることなく観ることが出来た。
「旧友に妻を強姦された」ことが裁判の始まりで、第一章から三章までを、夫のカルージュ、旧友のル・グリ、妻のマルグリット、それぞれの視点で事の一部始終を描く。
それぞれの視点で描く時、それぞれの異なる現実を見せていくのかと思っていたが、起きた現実は皆一緒で、それぞれの解釈や自分にとって都合の良い視点で描かれていることがわかる。
例えば同じ現実を体験しても、その解釈は人それぞれ異なる場合もある。女性に優しい笑顔で会釈された場合、男性側が「あのコ、自分に気があるのかな」と思い込んだところで、女性側はそんな気など毛頭なく、勝手に男性側が馬鹿な勘違いをして自分に都合の良い解釈をしてしまっているのだ。
実際にこういう間抜けな現象は起こり得ることではないか。「あのコから誘ってきた」とか「イヤがっていなかった」とか、相手に全くその気がないのにも関わらず、自分の都合の良い方に解釈して本気で思い込んでいる。
600年前の史実を基に作られた作品なので、当時の女性に対する扱いや立場や尊厳等、その昔の日本でも例外ではないが、かなり理不尽に虐げられていたことが見受けられる。
今回の裁判も妻が「強姦された」との訴えではなく、夫の「財産が傷つけられた」という訴えだ。
またおかしな常識とルールを信仰しており、「女性がオーガニズムに達しないと妊娠はしない」「真実を述べている方が決闘の勝利者になる」「夫が決闘に敗れたら、妻も火あぶり」等、現代では信じられない理論を妄信している。
強い人間が勝者で全てが正しい世界においては、喧嘩が弱い人間が幾ら真実を唱えても「決闘裁判」で敗者になってしまえば、「偽り」と見なされてしまうのは何とも納得出来ず浮かばれない。
そんな世の中なら、喧嘩の強い大悪党がやりたい放題ではないか。それでも「俺が正義。俺が真実」ということが、まかり通ってしまうのだろうか。
三部構成にした面白さや考えさせられる内容であることは確かではあるが、注目したのは決闘シーンだ。
リアル過ぎて、どこが作りものなのか見分けられない。実際に刺さったかのような槍、えぐられる身体、巻き添えになる馬、決闘シーンの映像や音の迫力とリアルが凄過ぎて大いに興奮する。
齢80を越えたリドリー・スコット監督の底力に圧倒されるのだ。
役者の演技力も高く、非常に見応えのある作品であった、といったところで「カット、カット」。
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