新宿の中村屋サロン美術館で開催されている『鴨居玲展 人間とは何か?』に行ってきたのだ。
以前、銀座の日動画廊で開催されていた『鴨居玲展』をたまたま見て、その作品のパワーに魅了された。
それからというもの気になる存在であった鴨居玲だったが今回、新宿で「鴨居玲展」が開催されたたということもあり足を運んだ。
新宿の東口、紀伊国屋書店の向いにある中村屋サロン美術館に訪れたのも初のことで、幾度も歩いたことのある通りのビルの3階に位置する当美術館に失礼ながら今までは気にすることもなかった。
「鴨居玲」に興味を抱いたからこそ、こうして中村屋サロン美術館を知るキッカケにもなった。
自画像を多く描いてきた鴨居玲の貴重な幾つかが展示されており、19歳の頃に描いた自画像も展示されている。芸術の世界に没頭する若々しい鴨居玲が映し出され、その絵からは「死」というものは感じ取れない。
しかし30年から40年近くの歳月を経ていく過程で鴨居玲の自画像には「死」がダイナミズムに表現されている。
それと同時に「生」の息吹も大きく場を包み込むかのように描き表されているのだ。
瞳を閉じて半開きになった口、それは死者ではなく生きる者の哀しみが伝わってくる。
1982年に軽い心筋梗塞で病院に運ばれた鴨居玲は病院に運ばれ即入院を告げられたが控えていた個展を優先させて作品を完成させたという。『AVRIL 1982 昭生病院にて』の自画像では瘦せこけた鴨居玲が描かれているが、創作意欲の炎は決して消えておらず、入院を蹴ってまでも作品創りに没頭した生のパワーを強く感じるのである。
衝撃的だったのは1985年の襖絵『自画像・首吊り』だ。右の襖には首吊りをしている男の姿が描かれ、左の襖には鴨居玲自身の頭部だけが大きく描かれている。幾度も自殺未遂を繰り返してきた鴨居玲の不気味な作品で、「何故、襖絵にしたのか?」という疑問も拭えない。こんな縁起でもない襖が自宅にあれば恐怖でしかない。そしてこの絵を描いた年に鴨居玲は自ら命を絶った。
自画像の他に労働者や酔っ払いを描いた作品もあるが、それもまた鴨居玲を反映させたものである。
鴨居玲自身が「浮浪者を描いても写生をしたこと一度もなく、かたちを借りるだけで自画像のようなもの」だと語っているように、絵を描きながら常に自分自身と対峙してきたことが理解出来る。
『私の話を聞いてくれ』と題された作品では強く嘆く男が描かれ、キャンバスの余白にも不穏な空気を感じる。「私の話を聞いてくれ」とは、鴨居玲が訴えかけたかった想いなのかもしれない。
死を見つめることは真剣に生を見つめていることと同じである。死を避けて生を考えることは出来ない。鴨居玲は死を見つめることで誰よりも真剣に生を考え作品に投影してきたのだ。
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