大晦日のガキ使の黒塗りメイクについて、多くの批判、非難、議論がされている。
日テレサイドは「差別意識はない」と主張したが、それは正直その通りだったと思う。故意に誰かを傷つけようとして、したわけではない。
だが、ガキの使いを初めて観た方や海外の方たちは、「人種差別だ」と騒ぎ立てるのも無理はない。
数か月前にとんねるずの番組で、同性愛者をネタにした問題が提起されたばかりなので、日テレは黒塗りメイクに関して起こりうる問題を想定していなければならなかった。
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そこは日テレの考えの甘さであった。
作り手側の認識の甘さから炎上に発展することが多い。
クレームが来る前から自主規制をする昨今の風潮はいかがなものかとは思うが、差別問題に発展する表現は配慮する必要がある。
世界基準と日本での時代錯誤感は否めない。
僕が日テレをフォローするのであれば、マジで差別意識はなかったということ。このシリーズではガキ使メンバーが全員用意された衣装に着替え、浜田さんだけが違う格好に扮して笑いをとるというのが定番であった。
浜田さんの顔を「笑い」にしているのであって、人種差別で笑いをとる意識はない。
それに僕たち日本人はエディ・マーフィーが大好きであり、むしろカッコイイ!と思っている。
日本人と海外の方たちとでは差別意識や歴史が違うと言われれば、それは否定できない。
「差別意識はない」と言っても、それを受けた当事者が傷つけば、それは差別になってしまうのかもしれない。
だからこそ起こりうる想定内の反応や問題を、最初に考えておくべきであった。
お笑いだけではなく色んなジャンルで表現について、問題視され規制されたりするであろう。
デリケートな問題であるが、どこからどこまでがOKで、どこからどこまでがNGであるのか、すごく難しく人によって超えてはいけないラインが違う。
「ハゲ、デブ、チビ」なども今までお笑いのネタだったが、傷つく人は存在するし、全然傷つかずに一緒にゲラゲラ笑う人も存在する。
触れられないことに傷つく場合もあるし、触れられることでラクになることもある。
自ら自分でネタにして笑いをとる人もいる。
何でもかんでも差別と言い出したら、同じ顔をしたロボットにでもなるしかない。
残念ながら全てが平等なんてのはありえない。
人は姿カタチで判断している。
美人に優しくして、美人でなければ挨拶すらしない。イケメンなら何をされても嬉しいが、それ以外の男はセクハラ、ストーカー。犬やネコは可愛いと頭を撫でて、ゴキブリが出たら悲鳴を上げて殺虫剤をふりまきスリッパで叩き殺す。
同番組内でベッキーがタイキックをされた件も、批判が殺到して問題視されている。
正直、僕も笑えず、単純に可哀そうだと思った。
ベッキーが「感謝しています」と、コメントしたのは真実だと思う。
イヤがっている女性のお尻を蹴飛ばすなんてフツーに考えたら許せない行為だが、お笑い番組なのでイヤがっているフリを演じなければ、それこそ面白くない。
ダチョウ倶楽部が「押すな!押すな!絶対、押すなよ!」とイヤがりながら熱湯風呂に落とされるから面白いのであって、喜んで熱湯風呂に入っていたら面白くない。
お笑い番組では、イヤがって、アクションがあって、大きなリアクションをするから面白いのだ。
ただベッキーのタイキックは笑えなかった。
しかしベッキーの不倫騒動の時に、寄ってたかってタイキック以上にベッキーを叩いて蹴飛ばしていた連中が何を言ってるんだと思う。
世間なんてそんなもん。正義感が人を追い詰めることもあるのだ。
方正さんへのビンタは誰も「可哀相」と言わないのが、可哀相。
問題提起になるのは悪いことではなく、考えるキッカケになるのだから、新しい未来を作っていけばイイのだ。
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