ゴジラ生誕から30周年である『ゴジラ(1984)』を観た。
『ゴジラ(1984)』 当時のリアルとフィクション。 ゴジラの魅力と迫力。 監督:橋本幸治 出演:小林桂樹 田中健 沢口靖子 |
『メカゴジラの逆襲』以来9年ぶりに製作された、ゴジラ誕生30周年記念映画。
『さよならジュピター』の橋本幸治が監督。
『日本海大海戦 海ゆかば』の中野昭慶が特技監督。
1984年製作/103分/日本
配給:東宝
伊豆諸島にある大黒山が噴火。
現地付近を航行していた記者の牧吾郎は、行方不明になっていた漁船を島の近くで発見した。
船内で唯一の生存者である奥村宏は、青白い光を発して不気味に咆哮する巨大生物を見たと繰り返す。
それは過去に日本を蹂躙した生物、ゴジラであった。
日本近海を航行していたソ連の原子力潜水艦がゴジラに沈められたことを受けて、政府はゴジラに関する情報公開に踏み切る。
放射能を餌とするゴジラに対して、核の使用を求めるアメリカとソ連だが、日本は領土内での核の使用を拒否して、現存の戦力でもってゴジラを沈める作戦を立てる。
自衛隊の戦力が展開される中、闇に包まれた東京湾の水面からゴジラが姿を現した。
「ゴジラ」シリーズの前作『メカゴジラの逆襲』から約10年、前作が1975年で本作が1984年だから正確には9年が経過して『ゴジラ』が帰ってきた。
人気作というのは興行収益が見込めるので連続してシリーズが製作されていくが、どうしてもアイデアが出尽くした感があったり新鮮味も失われていくものだ。
前作のスケールを越えなければならないハードルが用意されていて、順調に収益を伸ばしていても、どこかで停滞して下がっていくものである。
前作から9年の歳月を経たことにより、パワーアップしたゴジラ。その時代に進化したゴジラが、「懐かしい」感情とともに大きな「新鮮さ」を与えてくれるのだ。
そして『ゴジラ(1984)』は、その沈黙の9年間が良き方向へと働いて、パワーアップ、スケールアップして帰ってきた感が大いに感じ取れたのである。
冒頭はホラー感があるような死体がミイラになっているシーンなどもあり、「ゴジラ」シリーズの自由度や面白さを甦らせてくれた。
ゴジラが東京の街を破壊するシーンも、迫力が増していて凄い。
もちろん僕にとっては2020年の現在の視点で1984年の映画を観るわけだから、現在のクオリティーとは別モノではあるが、街並みのセットを組んでCGではなく、着ぐるみを着たゴジラが街を破壊していくスケールの大きさと、その映画スタッフの技術と情熱に感動するのだ。
新幹線の操縦士はゴジラを発見して急ブレーキをかけて、「ちょうどゴジラが新幹線を掴みやすい」位置に停車して、案の定、掴まれてしまう。
ゴシラを発見しても急ブレーキをしないで、猛スピードでそのまま突進して行けばゴジラに掴まれなかったであろう。
ゴジラの掴んだ新幹線の中でムッシュかまやつが乗っているのだが、何故かムッシュさんは「ニヤリ」とほくそ笑んでしまうのだ。
この登場シーンは何のサービスなのか不明だが、「ニヤリ」とほくそ笑むことによって、そのシーンに意味を持たせてしまう。後々、ムッシュさんが映画の中での重要な役割として出てこなければおかしくなるのだ。
ムッシュさんが登場するのは構わないが、ゴジラに怯えて叫んでいるシーンでの登場にしておくべきだった。
それと同時に武田鉄矢の登場も、全くもって不要なのである。
当時の人たちは武田鉄矢の登場で喜んだのだろうか。
本作のヒロインである沢口靖子さんは非常に演技がヘタクソで、感情の起伏もない、ただ容姿の良さだけで登場している残念な配役であった。
こんなに演技がヘタで、よくトップ女優に上りつめたものだ。
ま、キャストのあれこれも当時の観客へのサービスであったのだろう。
映画という作品、またゴジラという作品が何十年、何百年も観られていくことを考えれば、意味はないサービスだが。
何故か『アルマゲドン』で一瞬だけ映る松田聖子のようなもので、パニック系のワンシーンには無意味なサービスを入れたくなるのだろうか。
そんなことより、『ゴジラ』の映画のクオリティーは上がり、フルCGではない魅力が詰まっている。
『シン・ゴジラ』では、被災した日本の様子をリアルに描いていたが、『ゴジラ(1984)』も当時の日本の政治が垣間見られる。
ネットが普及していない時代に起こる「ゴジラ」による災害を、当時のリアルとフィクションが堪能出来るのだ、といったところで「カット、カット」。
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