浮世絵には様々な食事に関する記録が残されている。
江戸時代では一体どんなものを食べていたのだろうか?
浮世絵を通して江戸時代による人々の食生活を知っていこうと思う。
歌川国芳の『鰻の蒲焼き』。
丑の日に鰻の蒲焼を食べる習慣は江戸後期からのもの。平賀源内の知恵を借りて、ある鰻屋が夏の土用の丑の日に鰻の蒲焼を食べると薬になると宣伝したのが始まりだと言われている。
大きな包丁と腕に絡みついたうなぎ。背後の文字には「かばやき」と書かれている。
これもまた歌川国芳の『春の虹げい』といううなぎの蒲焼きを食べる女性を描いたものである。
扇子の形をした枠の中で描かれていてる扇子絵は、女性が二本の串に刺された蒲焼きを食べようとしたところで、虹に目を奪われている瞬間を表現されたもの。
歌川豊国の『鬼あざみ清吉』では江戸時代の蕎麦屋の屋台が描かれている。
「二八」とはっきり文字が書かれていてるのがわかるが、二八蕎麦というのは「小麦粉2、蕎麦粉8の蕎麦」を意味している。
江戸で勢力を拡大していった蕎麦は、江戸時代末期には江戸市中の蕎麦屋は3760店を数えたという。江戸のあちこちに蕎麦屋があったことが想像できる。
歌川国芳の『五行之内 西瓜の水性』、すいかの種を指で取り除く女性の姿が美しい。
歌川豊国の『十二月ノ内水無月』では、角切りにさたすいかが器に盛られている。
夏の暑い中、扇子で扇ぎながらはだけた着物姿の女性が、すいかを食べている様子がうかがえる。
月岡芳年『風俗三十二相 むまそう』では、天ぷらを食べる遊女が描かれている。
「むまそう」とは「うまそう」であり、魚類の天ぷらを楊枝で刺して食べていることがわかる。
江戸時代、天ぷらは庶民の間で親しまれていたのだ。
江戸の寿司屋台が月見行事に参加した様子が描かれた歌川広重の『東都名所高輪廿六夜待遊興之図』。
歌川豊国の『見立源氏はなの宴』。
花見をしながら寿司を食べていることがわかるが、やはり寿司は行事や催し物の際に食されることが多かったのだろう。
歌川豊国の『十二月之内 師走餅つき』では、その名の通り師走に餅つきをしている様子がわかるが、色鮮やかな着物やふすまの柄は何とも美しいものである。
江戸時代の食事風景を見ていると、何とも美味しそうだ。この時代にタイムスリップして、食してみたい気持ちにさせる。
歌川豊国『双筆五十三次』「平塚」
また気品あふれる女性の姿は、とても上品に食事を楽しんでいて日本女性の美しさが見える。
食事を楽しみ、浮世絵を楽しみ、現代の便利さがないにしても、そんな江戸時代の人々の暮らしが僕には羨ましくも思えるのだ。
浮世絵に見る 江戸の食卓 |
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